滝乃川学園だより

MESSAGE FROM THE CHAPLAIN

チャプレンからのメッセージ

「強さは弱さの中に」 2012年7月13日聖餐式説教
チャプレン 司祭 須賀義和
 岩手県の釜石に行ってまいりました。そこで新生釜石教会という日本基督教団の教会の礼拝に参加する機会が与えられました。その時に、讃美歌の「主われを愛す」を歌ったのですが2番はその教会のオリジナルでした。「主イエスの恵み わが身に足れり わが弱さこそ 主イエスのちから…」これは新生釜石教会の今年度の主題聖句であり今日の使徒書で読まれた第2コリントの聖句「強さは弱さの中で十分に発揮されるのだ」という言葉を基に作られています。
 津波で教会も被災、一階部分は全部水につかりながら被災者支援に尽力をした教会です。今、半分くらいは修理をしながらも、そのまま建物を直すのか、もしくは盛り土をして高台を作っていくのかが決まらないままに工事は途中で止まっている状況の中で、しかし、今こそ神様のちからが私たちに働いているのだと、人々を、また自分自身を励ます言葉としてパウロの手紙は存在しています。新生釜石教会では震災の後、がれきの中、教会の敷地に「赤テント」として有名になったのですがテントを張って、お茶を出してと休憩所を作っていきました。やがてそこが人々の憩いの場になっていきました。みんな放り出されてしまって何もなくなって、でもそこに集まって共に語らう。焼肉パーティーなどをしながら励まし合っていく場所になりました。町の人々が集まって互いに励まし合う姿に外国人の神父は「まるで天国だ」といったそうです。
 何もなくなってしまった中で、できることを其々が力を出し合っていく、その中に神様は確かに働いておられるのだと思います。強さは弱さの中で発揮される。神様の恵みはいつも等しく注がれている。しかし、私たちが自分でできるという時よりも、もうできることがない、神様に頼るしかないという時に、神様の力が働いていることに気付き、弱さの中から立ち上がる強さが与えられていくのだと思います。
 私たちは弱さを欲しいとは思いません。強くありたいと思い、そのように教育されてきました。優秀でありなさい。競争に勝ちつづけなさいと言われてきました。そうしなければこの世界を生きてはいけないと教えられています。
 だから、さまざまに自分を鍛え上げ、競争に勝つように勉強をし、仕事をします。勝たなければ、何かをしなければ、より多くのものを持たなければ生きていけないと考えます。
 まるで武装して鎧を着るように私たちは「できること」や「何かをすること」にこだわっていきます。しかし、神様にとって私たちが何か「できる」とか「する」というのは、じつは、そんなに大きな問題ではない。私たちの存在そのものが神様にとっては大切であり、今ここに神様の子供として生きている。そのことが何よりも重要なことです。一方で、私たちがいま生きている社会は「すること」と「できること」に絶対的な価値を見て、神様が求めている、今ここに存在しているということを喜ぶ社会ではありません。ですから、あきらめて私たちは競争社会の中に生きていこうとします。そして負けることの恐怖に押しつぶされていきます
 聖書の中には、社会的には「何もできない」「触れることすら許されない」人々と共にあるイエス様がいます。イエス様は罪びとや穢れているとされた人々を同じ神の民として「あなたの信仰があなたを救った」と受け入れて行かれました。
 「強さは弱さの中で輝く」このことを思う時に、その強さというのは私たちの持つキャリアや経験ではなくて神様から愛されている一個の存在としての強さなのだと思います。何かができる「価値のある存在」としての自分ではなく、あらゆる武装が解除された、生身のわたしたちを何よりも大切な存在としての私たちを愛してくださる神様の強さです。
 私たち人間は「Be Being Become Do Can」の中でDoとCanにこだわります。しかしそれは神様にとって人間がどれだけできるかというのは石ころが大きいか小さいに過ぎないのだと思います。
 大事なのは「Bing」つまりそこに「存在している」ことです。これには周りの人々の助けが必要です。「私が今ここにいる」ということ、その存在を周りが認めていくということです
 私は4月から滝乃川学園に参るようになりましたが、ここに来て、いつも思うことは、一人の存在をとても大事にしているということです。「今あなたはここにいるね」ということを、職員だけでなく皆で確認していっている。これがとても美しいと思いました。
 そして神様はこの学園の中で確かに働いているのだと思います。
 強さの中にあると私たちが思い込んでいるときには、神様の働きというのは目に入らないのかもしれません。しかし、神様の力は今も私たちに働いている。それを気付ける、理解できるのが「神様しか、もう頼ることが出来ない」と思うような弱くなってしまったときなのかもしれません。ですが、それ以外の時も、今も確実に働いています
 私たちを豊かにめぐみ祝してくださる神様です。その神様の力は私たちが生きるとき、それも共に生きようとするときに豊かに働いていく。このことを思い起こして行きたいと思います。
 神様はこの滝乃川学園にいる人々、特に一緒に生活をしている方々を通して神様は私たちを一人一人を用いて生きること、それも、みんなが一緒に生きることに召しだしてくださっている。共に生きることを選び取る。そこから私たちの新しい命のありかたが始まっていくのだと思います

父と子と聖霊のみ名によってアーメン

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