滝乃川学園だより

MESSAGE FROM THE CHAPLAIN

チャプレンからのメッセージ

「いと小さき者」と共に生きる亮一
石井亮一は、日本より進んだアメリカの知的障害児教育を学び、自分の生涯をかけて、「いと小さき者」(新共同訳では「最も小さき者」)たちを「支えてゆこう」「仕えてゆこう」と決心されたのです。亮一は、聖書によく出てくる「いと小さき者」という言葉を好まれ、ご自分に対しても、私は「いと小さき者である」という自覚のもとに、「いと小さき者のために」「いと小さき者と共に」、生涯を生き貫かれました。

「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた。…はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。…はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。」(マタイ25・35-45)

これは世の終わりに行われる最後の審判の場面を描いたものであり、主イエスの教えの要約であると考えられています。

心から湧きいずる、小さな奉仕(愛の実践)を

主イエスは、ご自身を「最も小さき者」と自覚しておられるのです。神の裁きの規準は、私たちがどれだけ人を助けたかという点にあります。主イエスの再臨までの時を、私たちの日常生活において、どんな小さなことでも、人に対して、目立たない助け、報酬をあてにしない、心から湧きでる、小さな奉仕(愛の実践)に励みなさいということです(参照:エフェソ6・7、コロサイ3・23)。
この具体例は、アブラハムが知らずにもてなした3人の旅人が、主と主の使いであったということに、よく似ています(創世記18・1-15)。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」「隣人を自分のように愛しなさい」という掟の実践の勧めです。

「この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである」と、主イエスから言われないようにしましょう。人を助けることは、主イエスを助けることになるのです。
最終的な神の問いかけは、あなたが小さな奉仕をどれだけ実行したかでしょう。
現代社会での基本的人権は、どうなっていますか?
「最も小さい者」という言い方は、偉大であるか取るに足りない存在であるかを比べているのではないでしょう。主イエス・キリストは、ここで5つの基本的人権「食」「住」「衣」「健康」「自由」をあげ、そのどれかが奪われ、あるいは抑圧されている人を指して、「最も小さい者」と呼んでおられるようです。
亮一は、この基本的人権を尊重して、滝乃川学園を運営してこられました。現在は、如何でしょうか。
基本的人権が損なわれている姿の主イエスに
これまでの歴史の流れの中で、主イエスを知らないままに、世を去った無償の愛の実践者と、現代社会で基本的人権が損なわれている「最も小さい者」の姿を取ってその人のうちに宿る主イエスを知らないで、愛の奉仕をしている人びとを、主イエスは、ご自分にしてくれたのだと、認めてくださるのです。

これに対して、主イエスが、私たちのところへ、見知らない人、渇く人、飢える人、貧しい人、差別されている人、生まれながらに不幸を負った人、障害者、避難民、人種の違った人、という姿をとって、通り過ぎておられるのに、私たちは、気づかないことがあったのではないでしょうか。

いつの日か、主イエスは、私たちに向かって、「あれは、私だったのだよ!」と。そして、「あなたは私を知っているような顔をしているが、私はあなたのことを全然知らない」(参照:マタイ7・23)と言われるかもしれません。

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