滝乃川学園だより

MESSAGE FROM THE CHAPLAIN

チャプレンとは

チャプレンとは
★チャプレンとは、教会以外の学校や病院や社会福祉施設と礼拝堂(チャペル)で働く牧師のことです。
★滝乃川学園チャプレンである私の務めは、神と人びとに仕え、聖書の教えに基づいて、必要とする方々の心に寄り添って関わります。学園利用者やその背後におられる保護者や学園を訪問される方々、そして献身的に働く職員の霊的、精神的サポートをすることにあります。利用者、職員、関係者が、お互いの人権(人間)を尊重し、共に生きる喜び、平安(安定)と感謝に満たされた生活ができるように祈っています。

★ 日本聖公会信徒で立教女学校教頭・ヨシュア石井亮一は、1891年10月28日に起こった濃尾大震災の惨状に心を痛め、同志・巖本善治(明治女学校校長)と共に、同年12月1日、上野の擂鉢山で祈りました。神のみ心を聴くことにより、教頭職を辞めて、濃尾大震災孤女を救済すべきか、の決断をする時でした。亮一は、「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」(ロマ10・17)を実行し、主イエスの福音宣教の心を、心としました。
「飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」(マタイ9・36節)。イエスの行動の動機はいつも「憐れむ」ことであり、彼の生涯の原点なのです。「憐れむ」と訳された言葉は、もともと「はらわた」を意味するギリシア語の名詞スプランクノンから派生した動詞です。
石井亮一は、濃尾大震災により、人間の痛ましい姿、家を失い両親を失って路頭に迷っている子供たち、ことに女の子が人身売買される悲惨な状況を憐れみ、「あわれみのはらわたがうちふるえる」「はらわたがえぐられるような思い」「断腸の思い」になり、教頭職を辞めて、被災した女子を救済する決断をしました。
この決定的な英断こそが、滝乃川学園の創立への基礎となりました。まさに彼の洗礼名「ヨシュア」の意味の通り、「神は救い」を実行したのです。
ペテロ吉村庄司の自己紹介
奈良県大和郡山で1932年8月11日生れ。郡山聖ヨハネ教会の中尾鐡三長老から幼児洗礼(1937年)、京都教区佐々木二郎主教から堅信式(1949年)。同志社大学神学部卒業(1955年)、聖公会神学院卒業(1958年)、佐々木二郎主教から上野聖公会伝道師、同年、執事按手、司祭按手(1959年)。桑名エピファニー教会、アンカレッジ聖マリア教会管理牧師、四日市聖アンデレ教会で牧会。
東京教区へ聖職籍移籍(1969年)。立教大学キリスト教教育研究所専任所員(1969年~1977年)。クリエイティヴトレーニングセンター設立(1977年~現在)。1969年以降に、八王子復活教会嘱託、立川聖パトッリック教会管理牧師、小金井聖公会管理牧師、東京諸聖徒教会牧師定年退職(2003年)。滝乃川学園評議員(1997年~現在)、同学園理事長(1998年~2006年)、福祉文化担当理事(2006年~現在)、チャプレン(1995年~2003年)嘱託チャプレン(2003年~現在)。