滝乃川学園だより

MESSAGE FROM THE CHAPLAIN

チャプレンからのメッセージ

チャプレン 司祭 須賀義和
 岩手県の釜石に行ってまいりました。そこで新生釜石教会という日本基督教団の教会の礼拝に参加する機会が与えられました。その時に、讃美歌の「主われを愛す」を歌ったのですが2番はその教会のオリジナルでした。「主イエスの恵み わが身に足れり わが弱さこそ 主イエスのちから…」これは新生釜石教会の今年度の主題聖句であり今日の使徒書で読まれた第2コリントの聖句「強さは弱さの中で十分に発揮されるのだ」という言葉を基に作られています。
 津波で教会も被災、一階部分は全部水につかりながら被災者支援に尽力をした教会です。今、半分くらいは修理をしながらも、そのまま建物を直すのか、もしくは盛り土をして高台を作っていくのかが決まらないままに工事は途中で止まっている状況の中で、しかし、今こそ神様のちからが私たちに働いているのだと、人々を、また自分自身を励ます言葉としてパウロの手紙は存在しています。新生釜石教会では震災の後、がれきの中、教会の敷地に「赤テント」として有名になったのですがテントを張って、お茶を出してと休憩所を作っていきました。やがてそこが人々の憩いの場になっていきました。みんな放り出されてしまって何もなくなって、でもそこに集まって共に語らう。焼肉パーティーなどをしながら励まし合っていく場所になりました。町の人々が集まって互いに励まし合う姿に外国人の神父は「まるで天国だ」といったそうです。
 何もなくなってしまった中で、できることを其々が力を出し合っていく、その中に神様は確かに働いておられるのだと思います。強さは弱さの中で発揮される。神様の恵みはいつも等しく注がれている。しかし、私たちが自分でできるという時よりも、もうできることがない、神様に頼るしかないという時に、神様の力が働いていることに気付き、弱さの中から立ち上がる強さが与えられていくのだと思います。
 私たちは弱さを欲しいとは思いません。強くありたいと思い、そのように教育されてきました。優秀でありなさい。競争に勝ちつづけなさいと言われてきました。そうしなければこの世界を生きてはいけないと教えられています。
 だから、さまざまに自分を鍛え上げ、競争に勝つように勉強をし、仕事をします。勝たなければ、何かをしなければ、より多くのものを持たなければ生きていけないと考えます。
 まるで武装して鎧を着るように私たちは「できること」や「何かをすること」にこだわっていきます。しかし、神様にとって私たちが何か「できる」とか「する」というのは、じつは、そんなに大きな問題ではない。私たちの存在そのものが神様にとっては大切であり、今ここに神様の子供として生きている。そのことが何よりも重要なことです。一方で、私たちがいま生きている社会は「すること」と「できること」に絶対的な価値を見て、神様が求めている、今ここに存在しているということを喜ぶ社会ではありません。ですから、あきらめて私たちは競争社会の中に生きていこうとします。そして負けることの恐怖に押しつぶされていきます
 聖書の中には、社会的には「何もできない」「触れることすら許されない」人々と共にあるイエス様がいます。イエス様は罪びとや穢れているとされた人々を同じ神の民として「あなたの信仰があなたを救った」と受け入れて行かれました。
 「強さは弱さの中で輝く」このことを思う時に、その強さというのは私たちの持つキャリアや経験ではなくて神様から愛されている一個の存在としての強さなのだと思います。何かができる「価値のある存在」としての自分ではなく、あらゆる武装が解除された、生身のわたしたちを何よりも大切な存在としての私たちを愛してくださる神様の強さです。
 私たち人間は「Be Being Become Do Can」の中でDoとCanにこだわります。しかしそれは神様にとって人間がどれだけできるかというのは石ころが大きいか小さいに過ぎないのだと思います。
 大事なのは「Bing」つまりそこに「存在している」ことです。これには周りの人々の助けが必要です。「私が今ここにいる」ということ、その存在を周りが認めていくということです
 私は4月から滝乃川学園に参るようになりましたが、ここに来て、いつも思うことは、一人の存在をとても大事にしているということです。「今あなたはここにいるね」ということを、職員だけでなく皆で確認していっている。これがとても美しいと思いました。
 そして神様はこの学園の中で確かに働いているのだと思います。
 強さの中にあると私たちが思い込んでいるときには、神様の働きというのは目に入らないのかもしれません。しかし、神様の力は今も私たちに働いている。それを気付ける、理解できるのが「神様しか、もう頼ることが出来ない」と思うような弱くなってしまったときなのかもしれません。ですが、それ以外の時も、今も確実に働いています
 私たちを豊かにめぐみ祝してくださる神様です。その神様の力は私たちが生きるとき、それも共に生きようとするときに豊かに働いていく。このことを思い起こして行きたいと思います。
 神様はこの滝乃川学園にいる人々、特に一緒に生活をしている方々を通して神様は私たちを一人一人を用いて生きること、それも、みんなが一緒に生きることに召しだしてくださっている。共に生きることを選び取る。そこから私たちの新しい命のありかたが始まっていくのだと思います

父と子と聖霊のみ名によってアーメン

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チャプレンからのメッセージ

チャプレンからのメッセージを掲載いたします。
今回は都合によりPDFでの掲載といたしました。
下記をクリックお願いいたします。

吉村嘱託チャプレンは、メッセージにもある通り23年度をもって退任いたします。10年の長きにわたりチャプレンとして石井亮一の学園創設以来のキリスト教精神の継承に努めていただきました。ありがとうございました。

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チャプレンからのメッセージ

「東京教区時報」第1231号2011年11月27日発行の巻頭言に、下記の文章を掲載して頂きました。
『滝乃川学園に「生活介護棟」が、10月1日に落成しました。知的障がい者が、それぞれの生活の場から通い、日中活動の場を提供し社会の中で自立した生活が出来るように支援するためです。作業的な内容だけでなく、重度の利用者が、生き生きと過ごせるように、レクリエーション的な活動を行うように、様々な配慮がされています。
これを建築した精神は、立教大学でウイリアムズ監督の感化を受けた立教女学校教頭ヨシュア石井亮一師が、1891(明治24)年10月28日の濃尾大震災により、家と両親を失って路頭に迷っている子供、殊に女の子が人身売買される悲惨な状況を憐れみ、19名を東京に連れ帰り聖三一弧女学院(滝乃川学園前身)を創設した心を継承するためです。
主イエスのみ言葉「飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」(マタイ9・36)心を心としたいのです。主イエスの行動の動機は、いつも「憐れむ」ことであり、彼の生涯の原点です。「憐れむ」とは、「あわれみのはらわたが、打ち震える」「はらわたが、えぐられるような思い」「断腸の思い」です。
よく黄金律と言われる「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」(マタイ7・12)は、主イエスが、実際に私たちキリスト者に対し「人にされたくないことを、人にするな」と言われたと思います。
東日本大震災の支援活動にも当学園は、実践を展開中です。』
(滝乃川学園嘱託チャプレン)

チャプレンからのメッセージ

3月11日午後2時46分。この時刻は、日本人の心に永く記憶されるでしょう。世界観測史上4位のマグニチュード9.0の巨大地震と大津波が、堤防を越えて市街地に流れ込み、一瞬にして消滅してしまった故郷の姿を、ただ呆然と見つめながら立ち尽くす人びと…。死者、行方不明者合わせて約2万人を超える想像を絶する数になりました。

神さまは、どうしておられたのか?
大地震・大津波の爪痕(つめあと)は、正視に堪えられません。何故、このような悲しいことが起こるのでしょうか? 神さま、教えてください!「初めに、神は天地を創造された。…神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。」と、創世記1章にあります。「初め」は、時間の流れの最初を表し「起源」とか「発端」を表します。しかし、「原点とか根源」の意味を含んでいると思います。天地の創造は、神のご意志による根源的な、価値ある創造の業なのです。全知全能の神であれば、大震災を止めることが出来たのではないでしょうか。「神は天地を創造された。…それは極めて良かった」を、どのように理解すればいいのでしょうか。創造された後は、自然現象の成り行きまかせなのでしょうか。それとも、神は昼寝中で、大震災にお気づきにならなかったのでしょうか。それとも、自然現象だから、どうしようもなかったのでしょうか。もしかして、神は居られないのではないでしょうか。と、…。私たちが理解し得ないことが、起こったのです。

チャプレンからのメッセージ

去る3月11日午後2時46分頃、三陸沖を震源とする大地震があり、マグニチュード9,0、震度7という世界最大級の規模と言われます。猛烈な揺れでしたね。今度の東北関東大震災の惨状が、テレビ画面に映し出され、正視することが出来ませんでした。がれきと海水の混じり合った津波が、濁流のように家を、畑を、道路を自動車を、列車を呑み込んで行きました。太平洋沿岸部を襲った津波の高さは、三陸海岸で15メートル以上になっていたことが港湾空港技術研究所の現地調査などでわかったそうです。上陸した津波は山をせり上がり、海面から20メートル以上の高さに達したとみられます。最大級の津波だったようです。

犠牲者は衣食住に困窮
東北関東大震災による死者は27日現在、1万人を超え、犠牲者は阪神大震災をこえました。行方不明者は約1万9千人にのぼり、合計で2万9千人にもなります。被害の全貌は、なお判りません。被災により家財道具を一切失って、避難所で衣食住に困窮して生活に疲れはてた人びと、生きる希望を失ってしまった人びとが、数多くおられます。
マタイ福音書には、「わたしが求めるのは、憐れみであって、いけにえではない」というホセア6章6節の言葉が2回引用され(9:13、12:7)、イエスの活動が人々に対する憐れみの心に支えられていることが示されています。あわれみとは、人間の痛ましい姿を見て、それにゆさぶられる心のやさしさともいえます。

チャプレンからのメッセージ

石井亮一は、日本より進んだアメリカの知的障害児教育を学び、自分の生涯をかけて、「いと小さき者」(新共同訳では「最も小さき者」)たちを「支えてゆこう」「仕えてゆこう」と決心されたのです。亮一は、聖書によく出てくる「いと小さき者」という言葉を好まれ、ご自分に対しても、私は「いと小さき者である」という自覚のもとに、「いと小さき者のために」「いと小さき者と共に」、生涯を生き貫かれました。

「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた。…はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。…はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。」(マタイ25・35-45)

これは世の終わりに行われる最後の審判の場面を描いたものであり、主イエスの教えの要約であると考えられています。

チャプレンからのメッセージ

吉村 庄司

学園の創立者である石井亮一は、1867(慶応3)年、明治維新の前の年に、九州の現在の佐賀市に生まれました。佐賀鍋島藩の清廉硬直、武士の典型として尊敬されていた石井雄左衛門の三男として生まれたのです。幼年時代から亮一は、やがて世に何事かをなす人物として、期待されていました。上京して明治17年、立教大学校(立教大学の前身)に学びました。入学した理由は、アメリカで応用化学を学ぶために英語力を養うためでした。当初、彼は慈善事業や教育を志していたわけではなかったのです。

では、そんな彼がどのようにして変わって行ったのでしょうか。亮一は立教に入ってもキリスト教などに特に興味を示していたわけではなかったのです。入学の日に寄宿舎へ入った時のこと、先輩数人が亮一に対して、キリスト教について勧め「神よこの罪人を憐れみ給え」と祈祷を始めました。それを見た亮一は「なんだ失敬千万な、誰が罪を犯した」と憤慨し、こんな所にいては、自分の生活が破滅してしまうに相違ないと、解いた荷物をまた行李におさめ、そのまま寄宿舎を飛び出して下宿に入りました。翌日よりそこから通学するようになりました。自分が武士の家に生まれ「論語」などを学んできた経緯から、キリスト教の「人は罪人であり悔い改めなければいけない」と言う考えに素直に同意できなかったらしいです。

チャプレンからのメッセージ

石井亮一は、日本より進んだアメリカの知的障害児教育を学び、自分の生涯をかけて、「いと小さき者」(新共同訳では「最も小さき者」)たちを「支えてゆこう」「仕えてゆこう」と決心されたのです。亮一は、聖書によく出てくる「いと小さき者」という言葉を好まれ、ご自分に対しても、私は「いと小さき者である」という自覚のもとに、「いと小さき者のために」「いと小さき者と共に」、生涯を生き貫かれました。

「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた。…はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。…はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。」(マタイ25・35-45)

これは世の終わりに行われる最後の審判の場面を描いたものであり、主イエスの教えの要約であると考えられています。

心から湧きいずる、小さな奉仕(愛の実践)を

主イエスは、ご自身を「最も小さき者」と自覚しておられるのです。神の裁きの規準は、私たちがどれだけ人を助けたかという点にあります。主イエスの再臨までの時を、私たちの日常生活において、どんな小さなことでも、人に対して、目立たない助け、報酬をあてにしない、心から湧きでる、小さな奉仕(愛の実践)に励みなさいということです(参照:エフェソ6・7、コロサイ3・23)。
この具体例は、アブラハムが知らずにもてなした3人の旅人が、主と主の使いであったということに、よく似ています(創世記18・1-15)。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」「隣人を自分のように愛しなさい」という掟の実践の勧めです。

「この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである」と、主イエスから言われないようにしましょう。人を助けることは、主イエスを助けることになるのです。
最終的な神の問いかけは、あなたが小さな奉仕をどれだけ実行したかでしょう。

擂鉢山(すりばちやま)で祈るヨシュア石井亮一

JR中央線の新宿から立川駅乗換え、南武線の矢川駅で下車して徒歩8分、甲州街道を南へ少し入ったところにあります。国立市谷保6312です。約2万3601平方メートル(約7、000坪)の広大な理想的な自然環境の地にあります。
広い敷地内には、木々の芽が萌え、野鳥がさえずり、清水が湧きいで、空気も澄み、夏には矢川のせせらぎが涼を誘い、蛍の光に夢を追い、遠くに富士の高嶺を頂く武蔵野のたたずまいを残しています。

滝乃川学園は、日本聖公会の信徒にして教育者・石井亮一によって、1891(明治24)年に、日本で最初につくられた知的障害をもつ人の社会福祉施設です。

チャプレンとは

★チャプレンとは、教会以外の学校や病院や社会福祉施設と礼拝堂(チャペル)で働く牧師のことです。
★滝乃川学園チャプレンである私の務めは、神と人びとに仕え、聖書の教えに基づいて、必要とする方々の心に寄り添って関わります。学園利用者やその背後におられる保護者や学園を訪問される方々、そして献身的に働く職員の霊的、精神的サポートをすることにあります。利用者、職員、関係者が、お互いの人権(人間)を尊重し、共に生きる喜び、平安(安定)と感謝に満たされた生活ができるように祈っています。

★ 日本聖公会信徒で立教女学校教頭・ヨシュア石井亮一は、1891年10月28日に起こった濃尾大震災の惨状に心を痛め、同志・巖本善治(明治女学校校長)と共に、同年12月1日、上野の擂鉢山で祈りました。神のみ心を聴くことにより、教頭職を辞めて、濃尾大震災孤女を救済すべきか、の決断をする時でした。亮一は、「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」(ロマ10・17)を実行し、主イエスの福音宣教の心を、心としました。
「飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」(マタイ9・36節)。イエスの行動の動機はいつも「憐れむ」ことであり、彼の生涯の原点なのです。「憐れむ」と訳された言葉は、もともと「はらわた」を意味するギリシア語の名詞スプランクノンから派生した動詞です。
石井亮一は、濃尾大震災により、人間の痛ましい姿、家を失い両親を失って路頭に迷っている子供たち、ことに女の子が人身売買される悲惨な状況を憐れみ、「あわれみのはらわたがうちふるえる」「はらわたがえぐられるような思い」「断腸の思い」になり、教頭職を辞めて、被災した女子を救済する決断をしました。
この決定的な英断こそが、滝乃川学園の創立への基礎となりました。まさに彼の洗礼名「ヨシュア」の意味の通り、「神は救い」を実行したのです。