社会福祉法人滝乃川学園、聖三一礼拝堂(国立市登録文化財指定)のチャプレンからのメッセージ

チャプレンからのメッセージ

学園案内

  • 福祉事業
  • Facebookもチェック

HOME > 学園案内 > 礼拝堂 > チャプレンからのメッセージ

チャプレンからのメッセージ

2012/07/24

「強さは弱さの中に」
2012年7月13日聖餐式説教

チャプレン 司祭 須賀義和
 岩手県の釜石に行ってまいりました。そこで新生釜石教会という日本基督教団の教会の礼拝に参加する機会が与えられました。その時に、讃美歌の「主われを愛す」を歌ったのですが2番はその教会のオリジナルでした。「主イエスの恵み わが身に足れり わが弱さこそ 主イエスのちから…」これは新生釜石教会の今年度の主題聖句であり今日の使徒書で読まれた第2コリントの聖句「強さは弱さの中で十分に発揮されるのだ」という言葉を基に作られています。
 津波で教会も被災、一階部分は全部水につかりながら被災者支援に尽力をした教会です。今、半分くらいは修理をしながらも、そのまま建物を直すのか、もしくは盛り土をして高台を作っていくのかが決まらないままに工事は途中で止まっている状況の中で、しかし、今こそ神様のちからが私たちに働いているのだと、人々を、また自分自身を励ます言葉としてパウロの手紙は存在しています。新生釜石教会では震災の後、がれきの中、教会の敷地に「赤テント」として有名になったのですがテントを張って、お茶を出してと休憩所を作っていきました。やがてそこが人々の憩いの場になっていきました。みんな放り出されてしまって何もなくなって、でもそこに集まって共に語らう。焼肉パーティーなどをしながら励まし合っていく場所になりました。町の人々が集まって互いに励まし合う姿に外国人の神父は「まるで天国だ」といったそうです。
 何もなくなってしまった中で、できることを其々が力を出し合っていく、その中に神様は確かに働いておられるのだと思います。強さは弱さの中で発揮される。神様の恵みはいつも等しく注がれている。しかし、私たちが自分でできるという時よりも、もうできることがない、神様に頼るしかないという時に、神様の力が働いていることに気付き、弱さの中から立ち上がる強さが与えられていくのだと思います。
 私たちは弱さを欲しいとは思いません。強くありたいと思い、そのように教育されてきました。優秀でありなさい。競争に勝ちつづけなさいと言われてきました。そうしなければこの世界を生きてはいけないと教えられています。
 だから、さまざまに自分を鍛え上げ、競争に勝つように勉強をし、仕事をします。勝たなければ、何かをしなければ、より多くのものを持たなければ生きていけないと考えます。
 まるで武装して鎧を着るように私たちは「できること」や「何かをすること」にこだわっていきます。しかし、神様にとって私たちが何か「できる」とか「する」というのは、じつは、そんなに大きな問題ではない。私たちの存在そのものが神様にとっては大切であり、今ここに神様の子供として生きている。そのことが何よりも重要なことです。一方で、私たちがいま生きている社会は「すること」と「できること」に絶対的な価値を見て、神様が求めている、今ここに存在しているということを喜ぶ社会ではありません。ですから、あきらめて私たちは競争社会の中に生きていこうとします。そして負けることの恐怖に押しつぶされていきます
 聖書の中には、社会的には「何もできない」「触れることすら許されない」人々と共にあるイエス様がいます。イエス様は罪びとや穢れているとされた人々を同じ神の民として「あなたの信仰があなたを救った」と受け入れて行かれました。
 「強さは弱さの中で輝く」このことを思う時に、その強さというのは私たちの持つキャリアや経験ではなくて神様から愛されている一個の存在としての強さなのだと思います。何かができる「価値のある存在」としての自分ではなく、あらゆる武装が解除された、生身のわたしたちを何よりも大切な存在としての私たちを愛してくださる神様の強さです。
 私たち人間は「Be Being Become Do Can」の中でDoとCanにこだわります。しかしそれは神様にとって人間がどれだけできるかというのは石ころが大きいか小さいに過ぎないのだと思います。
 大事なのは「Bing」つまりそこに「存在している」ことです。これには周りの人々の助けが必要です。「私が今ここにいる」ということ、その存在を周りが認めていくということです
 私は4月から滝乃川学園に参るようになりましたが、ここに来て、いつも思うことは、一人の存在をとても大事にしているということです。「今あなたはここにいるね」ということを、職員だけでなく皆で確認していっている。これがとても美しいと思いました。
 そして神様はこの学園の中で確かに働いているのだと思います。
 強さの中にあると私たちが思い込んでいるときには、神様の働きというのは目に入らないのかもしれません。しかし、神様の力は今も私たちに働いている。それを気付ける、理解できるのが「神様しか、もう頼ることが出来ない」と思うような弱くなってしまったときなのかもしれません。ですが、それ以外の時も、今も確実に働いています
 私たちを豊かにめぐみ祝してくださる神様です。その神様の力は私たちが生きるとき、それも共に生きようとするときに豊かに働いていく。このことを思い起こして行きたいと思います。
 神様はこの滝乃川学園にいる人々、特に一緒に生活をしている方々を通して神様は私たちを一人一人を用いて生きること、それも、みんなが一緒に生きることに召しだしてくださっている。共に生きることを選び取る。そこから私たちの新しい命のありかたが始まっていくのだと思います

父と子と聖霊のみ名によってアーメン

ご不明な点はこちらから


チャプレンからのメッセージ(7)

2012/03/29

チャプレンからのメッセージ(7)を掲載いたします。
今回は都合によりPDFでの掲載といたしました。
下記をクリックお願いいたします。

吉村嘱託チャプレンは、メッセージにもある通り23年度をもって退任いたします。10年の長きにわたりチャプレンとして石井亮一の学園創設以来のキリスト教精神の継承に努めていただきました。ありがとうございました。

PDFファイル
※クリックするとPDFが立ち上がります。

ご不明な点はこちらから

PDFファイルをご覧いただくためには、最新のAdobe Readerが必要です。
こちらからダウンロードしてください。
Get ADOBE READER

チャプレンからのメッセージ(6)

2011/12/22

★ 「生活介護棟」が、神の栄光のために
「東京教区時報」第1231号2011年11月27日発行の巻頭言に、下記の文章を掲載して頂きました。
『滝乃川学園に「生活介護棟」が、10月1日に落成しました。知的障がい者が、それぞれの生活の場から通い、日中活動の場を提供し社会の中で自立した生活が出来るように支援するためです。作業的な内容だけでなく、重度の利用者が、生き生きと過ごせるように、レクリエーション的な活動を行うように、様々な配慮がされています。
これを建築した精神は、立教大学でウイリアムズ監督の感化を受けた立教女学校教頭ヨシュア石井亮一師が、1891(明治24)年10月28日の濃尾大震災により、家と両親を失って路頭に迷っている子供、殊に女の子が人身売買される悲惨な状況を憐れみ、19名を東京に連れ帰り聖三一弧女学院(滝乃川学園前身)を創設した心を継承するためです。
主イエスのみ言葉「飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」(マタイ9・36)心を心としたいのです。主イエスの行動の動機は、いつも「憐れむ」ことであり、彼の生涯の原点です。「憐れむ」とは、「あわれみのはらわたが、打ち震える」「はらわたが、えぐられるような思い」「断腸の思い」です。
よく黄金律と言われる「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」(マタイ7・12)は、主イエスが、実際に私たちキリスト者に対し「人にされたくないことを、人にするな」と言われたと思います。
東日本大震災の支援活動にも当学園は、実践を展開中です。』
(滝乃川学園嘱託チャプレン)

★「生活介護棟」での日中活動が祝福されますよう
学園の門を入ったすぐ真正面に、天沼白川建築設計事務所、大旺新洋株式会社による創造的でユニークな2階建です。
作業室では、いろいろな活動が行われています。織物や陶芸、絵画、造形等の創作活動や、高齢の利用者さんの身体・機能維持を目的としたリラックス活動が盛んです。また、調理・おやつ作りや、ビーズやシュレッダー等の作業に取り組む、利用者さんの姿をみることができます。各自が目ざすものに向かって、熱心に集中する姿と、指導する講師、職員に対して、感銘を受けました。
さらに、生活介護棟には、身体の不自由な方でも快適に入浴できる機械浴室や、リラックスルームが設置されています。建物全体が、窓が多く日差しがさんさんと入ります。中庭もあり、休憩もできます。1階の作業室の周りは回廊になっており、ガラス張りの窓から外を眺めながら歩行できます。
施設入所支援利用者、地域で生活されている方々、グループホーム・ケアホームで生活されている方々に、自律した日中活動の場を、提供しています。比較的若い利用者・生産性のある作業を方たち、高齢の利用者・のんびりした活動を好む方たち、約70名が、楽しく利用しています。

★石井亮一先生の「愛の行動」のパイオニア精神の継承
石井亮一先生の知的障害児者に対する「愛の行動」のパイオニア精神は、今に到るまで継承されており、滝乃川学園は、今や、 「生活介護棟」「施設入所支援」「短期入所」「グループ・ホームを含む地域支援活動」を展開中です。
このような活動が出来るのは、神から受けた賜物と、私は受け止めています。「主御自身が建ててくださるのでなければ、家を建てる人の労苦はむなしい。」(詩編127・1)という聖書のみ言葉を、思い起こします。
学園の嘱託チャプレンとして、この竣工した「生活介護棟」で、利用者と職員が出会い、その関わりの中に、愛の泉が湧きいで、創造的な喜びに溢れた活動が展開され、いのちといのちの輝きが、増し加わりますように願っています。

そして、私たちに天与の恵みとして与えられている恵み(カリス)を、惜しみなく、利用者に与えることです。恵み(カリス)とは、あなたに、与えられている、あなたの「優雅さ、美しさ」であり、「たまもの、贈り物」であり、「あなたのまなざしに、利用者が包まれること、特別に目をかけること」です。私はそれを希望します。

「いと小さくされた人たち」に対する社会福祉行政と、社会福祉事業が、私たちの愛する日本の地に、より良く、より速く、より充実したものとなりますように、祈り続けましょう。

ご不明な点はこちらから


チャプレンからのメッセージ」(5)

2011/08/11

★日本大震災により、故郷が消えた
3月11日午後2時46分。この時刻は、日本人の心に永く記憶されるでしょう。世界観測史上4位のマグニチュード9.0の巨大地震と大津波が、堤防を越えて市街地に流れ込み、一瞬にして消滅してしまった故郷の姿を、ただ呆然と見つめながら立ち尽くす人びと…。死者、行方不明者合わせて約2万人を超える想像を絶する数になりました。

★神さまは、どうしておられたのか?
大地震・大津波の爪痕(つめあと)は、正視に堪えられません。何故、このような悲しいことが起こるのでしょうか? 神さま、教えてください!「初めに、神は天地を創造された。…神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。」と、創世記1章にあります。「初め」は、時間の流れの最初を表し「起源」とか「発端」を表します。しかし、「原点とか根源」の意味を含んでいると思います。天地の創造は、神のご意志による根源的な、価値ある創造の業なのです。全知全能の神であれば、大震災を止めることが出来たのではないでしょうか。「神は天地を創造された。…それは極めて良かった」を、どのように理解すればいいのでしょうか。創造された後は、自然現象の成り行きまかせなのでしょうか。それとも、神は昼寝中で、大震災にお気づきにならなかったのでしょうか。それとも、自然現象だから、どうしようもなかったのでしょうか。もしかして、神は居られないのではないでしょうか。と、…。私たちが理解し得ないことが、起こったのです。

★「福島第一原発」の大事故は人災ではないか、…
東日本大震災の翌日、3月12日午後3時36分、「福島第一原発」で相次いで起きた大爆発とメルトダウンは、一部の人間が招いた人災だったのではないかと思います。まさに安全神話が崩れました。原発の大事故は、広範囲に長期間にわたる放射能の被害を及びます。避難者たちのいのちは、どうなることでしょうか。

★石井亮一の精神を継承する滝乃川学園
石井亮一が、1891(明治24)年秋10月28日、岐阜・愛知両県を中心とする濃尾大震災の惨状に心を痛め、両親を失った女の子を救済するため「聖三一弧女学園」を創立し、後に滝乃川学園と名を改めました。学園の創立精神が、今に引き継がれています。3月11日東日本大震災が発生した後、宮城県知的障害者福祉協会からの要請により、3月下旬の先発隊として滝乃川学園から本多地域支援部施設長、4月1日の第1陣に職員派遣、4月15日からは高瀬成人部施設長、職員派遣と人的、物的支援を実施し、毎月他施設と協力し職員派遣し、東北の障害者支援施設等を応援しています。高瀬祐二成人部施設長は、4月中旬より、東京都社会福祉協議会・知的発達障害部会・東京都発達障害支援協会合同災害対策本部の復興支援チームのコーディネーターとして現在も活躍中です。東京の様々な施設から、人・物・心のご協力をいただき感謝致しております。

★ボランティア(有志)の活動が「生きる希望の光」に
自然の猛威、天変地異の脅威をあらためて感じさせられた人たちが、日本国内だけにとどまらず、世界各国から、「断腸の思い」、「はらわたがえぐられるような思い」を感じる有志、ボランティアが、被災地に集結しています。その一人に私の息子・吉村誠司は、大震災直後から、東北地方に出かけ、「石巻ボランティアセンター」を立ち上げ、救援、支援活動を現在も展開中です。まさに、主イエス・キリストの心を心とする「小キリスト」が、続々と生まれ、石井亮一の心を、わが心とする人たちが、どんどん生まれ、奉仕の業を、被災地で、黙々とやり続けています。
 
★東日本大震災のための祈り
慈悲の神、天の父よ、東日本大震災によって命を失った人びとの死を悼(いた)みます。どうか主の深い慈しみのうちに、この人びとを安らかに憩わせてください。また、愛する者を失って悲しむ人びとがみ力により、あなたの愛の慰めのうちに生きることができますように。
この震災によって離散させられた人びと、住まいを失った人びと、傷つき病のうちにある人びと、弱い立場に置かれている人びと、ことに、障害のある人びと、ご高齢の人びと、外国からの人びとを愛のみ手をもって守り支えてください。また悲しみ、悩み、苦しみ、孤独のうちにある人びと、希望を失いかけている人びとを慰め、生きる勇気と希望をお与ださい。
今、避難生活を余儀なくされている人びとや不自由な生活を強いられている人びとに、必要な保護が与えられますように。また、震災復興のために働くすべての人びと、ことに危険な作業に従事する人びとを導き支えてください。
そしてわたしたちが心を合わせて祈り、いつも共におられる慰めの主(しゅ)のみ姿を見出すことができますように。これらの祈りを主イエス・キリストのみ名によってお献げいたします。アーメン
(日本聖公会礼拝委員会作成 ・主教会承認2011年4月)

ご不明な点はこちらから


チャプレンからのメッセージ(4)

2011/04/08

★東北関東大震災は国内最大級の惨状! 

去る3月11日午後2時46分頃、三陸沖を震源とする大地震があり、マグニチュード9,0、震度7という世界最大級の規模と言われます。猛烈な揺れでしたね。今度の東北関東大震災の惨状が、テレビ画面に映し出され、正視することが出来ませんでした。がれきと海水の混じり合った津波が、濁流のように家を、畑を、道路を自動車を、列車を呑み込んで行きました。太平洋沿岸部を襲った津波の高さは、三陸海岸で15メートル以上になっていたことが港湾空港技術研究所の現地調査などでわかったそうです。上陸した津波は山をせり上がり、海面から20メートル以上の高さに達したとみられます。最大級の津波だったようです。

★犠牲者は衣食住に困窮

東北関東大震災による死者は27日現在、1万人を超え、犠牲者は阪神大震災をこえました。行方不明者は約1万9千人にのぼり、合計で2万9千人にもなります。被害の全貌は、なお判りません。被災により家財道具を一切失って、避難所で衣食住に困窮して生活に疲れはてた人びと、生きる希望を失ってしまった人びとが、数多くおられます。
マタイ福音書には、「わたしが求めるのは、憐れみであって、いけにえではない」というホセア6章6節の言葉が2回引用され(9:13、12:7)、イエスの活動が人々に対する憐れみの心に支えられていることが示されています。あわれみとは、人間の痛ましい姿を見て、それにゆさぶられる心のやさしさともいえます。

★主イエスの心を、心とする石井亮一

滝乃川学園の創立者石井亮一が、1981年10月28日、岐阜・愛知両県を中心とする濃尾大震災の惨状に心を痛め、同志・巖本善治(明治女学校校長)と共に、同年12月1日上野の擂鉢山で祈り、救済活動を決意し、「聖三一孤女学園」を経て、滝乃川学園創設の過程を、既述しました(参照:2010年2月1日)。
まさに、亮一の心は、主イエス・キリストの心を実践されたのです。「飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」(マタイ9:36)のです。
マタイ14章14節でも舟からおりたイエスが「大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた」とあります。イエスの行動の動機はいつも「憐れむ」ことです。

★神の似姿に造られた人間には、

滝乃川学園は、「キリスト教の精神に基づき」(定款第一条)、石井亮一によって創立されました。当学園の創立の精神の最も中心は「聖書」にあります。旧約聖書の創世記1章27節に「神は御自分にかたどって人を創造された」とあります。その真意は、人間の心が神に似せて造られたという点にあります。人の心は、折にふれて少しだけ神に似た心になるというのです。この心を追い求めて、実践している人たちがいます。
神の似姿に創造された私たち人間(キリスト者であろうとなかろうと)には、次の三つの能力が与えられている、と私は信じています。(1)人間は、理性と感情をそなえ、創造力を豊かに与えられています。(2)人間は、選択の能力、自己決定の自由が与えられています。(3)お互いが、人格的な存在として、尊重し合い、与えられた賜物を大事にし、思いやり、いつくしみ、愛し合う能力を与えられています。

★与えられた賜物(命と能力)を、私たちは、

この三つの能力、賜物が与えられているのに、気づかないか、気づいても使わないか、なまぬるいか、充分に発揮しているか、が問われます。この度の東北関東大震災の自然の猛威、天変地異の脅威を、あらためて感じさせられた人たちが、日本国内だけにとどまらず、世界各国から、「断腸の思い」「はらわたがえぐられるような思い」を感じる有志(ボランティア「有志」とは、心がある方向を目指して実践することなのです)が、被災地に集結し、奉仕の業を、黙々とやり続けています。感謝、感謝です。ご支援、ご加祷をお願いいたします。

★東日本大地震の被災者のために祈ります

2011年3月11日に起きた東日本大地震と津波の災害によって、亡くなられた方々のみ魂の平安がありますように。そして、現在、所在不明の方々、また、住まいを失った方々、残された家族の方々、避難所などで生活されている方々、被災され不安の中で過ごされている方々、そして、福島第一原子力発電所の事故により、余儀なく避難した方々が、必要な慰めと援助と保護を受け、その必要を満たしてくださいますように。また、救助活動をしておられる方々、復興活動をしておられる方々、原発の冷却活動、放射線の汚染抑止に従事しておられる方々に、知恵と力、愛と忍耐を与えてくださいますように。そして、彼らの使命観による良い志(こころざし)の業が、み心にかないますように、主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

ご不明な点はこちらから


チャプレンからのメッセージ(3)

2011/02/02

★「いと小さき者」と共に生きる亮一
石井亮一は、日本より進んだアメリカの知的障害児教育を学び、自分の生涯をかけて、「いと小さき者」(新共同訳では「最も小さき者」)たちを「支えてゆこう」「仕えてゆこう」と決心されたのです。亮一は、聖書によく出てくる「いと小さき者」という言葉を好まれ、ご自分に対しても、私は「いと小さき者である」という自覚のもとに、「いと小さき者のために」「いと小さき者と共に」、生涯を生き貫かれました。

「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた。…はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。…はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。」(マタイ25・35-45)

これは世の終わりに行われる最後の審判の場面を描いたものであり、主イエスの教えの要約であると考えられています。

★ 心から湧きいずる、小さな奉仕(愛の実践)を
主イエスは、ご自身を「最も小さき者」と自覚しておられるのです。神の裁きの規準は、私たちがどれだけ人を助けたかという点にあります。主イエスの再臨までの時を、私たちの日常生活において、どんな小さなことでも、人に対して、目立たない助け、報酬をあてにしない、心から湧きでる、小さな奉仕(愛の実践)に励みなさいということです(参照:エフェソ6・7、コロサイ3・23)。
この具体例は、アブラハムが知らずにもてなした3人の旅人が、主と主の使いであったということに、よく似ています(創世記18・1-15)。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」「隣人を自分のように愛しなさい」という掟の実践の勧めです。

「この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである」と、主イエスから言われないようにしましょう。人を助けることは、主イエスを助けることになるのです。
最終的な神の問いかけは、あなたが小さな奉仕をどれだけ実行したかでしょう。

★ 現代社会での基本的人権は、どうなっていますか?
「最も小さい者」という言い方は、偉大であるか取るに足りない存在であるかを比べているのではないでしょう。主イエス・キリストは、ここで5つの基本的人権「食」「住」「衣」「健康」「自由」をあげ、そのどれかが奪われ、あるいは抑圧されている人を指して、「最も小さい者」と呼んでおられるようです。
亮一は、この基本的人権を尊重して、滝乃川学園を運営してこられました。現在は、如何でしょうか。

★ 基本的人権が損なわれている姿の主イエスに
これまでの歴史の流れの中で、主イエスを知らないままに、世を去った無償の愛の実践者と、現代社会で基本的人権が損なわれている「最も小さい者」の姿を取ってその人のうちに宿る主イエスを知らないで、愛の奉仕をしている人びとを、主イエスは、ご自分にしてくれたのだと、認めてくださるのです。

これに対して、主イエスが、私たちのところへ、見知らない人、渇く人、飢える人、貧しい人、差別されている人、生まれながらに不幸を負った人、障害者、避難民、人種の違った人、という姿をとって、通り過ぎておられるのに、私たちは、気づかないことがあったのではないでしょうか。

いつの日か、主イエスは、私たちに向かって、「あれは、私だったのだよ!」と。そして、「あなたは私を知っているような顔をしているが、私はあなたのことを全然知らない」(参照:マタイ7・23)と言われるかもしれません。

ご不明な点はこちらから


チャプレンからのメッセージ

2011/01/22

チャプレンからのメッセージ(3)
吉村 庄司
★創立者石井亮一とキリスト教との最初の出会い
学園の創立者である石井亮一は、1867(慶応3)年、明治維新の前の年に、九州の現在の佐賀市に生まれました。佐賀鍋島藩の清廉硬直、武士の典型として尊敬されていた石井雄左衛門の三男として生まれたのです。幼年時代から亮一は、やがて世に何事かをなす人物として、期待されていました。上京して明治17年、立教大学校(立教大学の前身)に学びました。入学した理由は、アメリカで応用化学を学ぶために英語力を養うためでした。当初、彼は慈善事業や教育を志していたわけではなかったのです。

では、そんな彼がどのようにして変わって行ったのでしょうか。亮一は立教に入ってもキリスト教などに特に興味を示していたわけではなかったのです。入学の日に寄宿舎へ入った時のこと、先輩数人が亮一に対して、キリスト教について勧め「神よこの罪人を憐れみ給え」と祈祷を始めました。それを見た亮一は「なんだ失敬千万な、誰が罪を犯した」と憤慨し、こんな所にいては、自分の生活が破滅してしまうに相違ないと、解いた荷物をまた行李におさめ、そのまま寄宿舎を飛び出して下宿に入りました。翌日よりそこから通学するようになりました。自分が武士の家に生まれ「論語」などを学んできた経緯から、キリスト教の「人は罪人であり悔い改めなければいけない」と言う考えに素直に同意できなかったらしいです。

★ウイリアムス主教の人格に感化を受ける

しかし、味気ない下宿の一室で学校の生活を考えるとき、彼の脳裏を離れなかったのは、立教大学(現・立教学院)の創立者として構内で起居し、学生の指導に没頭していた米国宣教師のウイリアムス主教の慈愛に満ちた微笑と行動でした。そして遂に、再び寄宿舎に戻りました。
そして、ウイリアムス主教の人格・信仰・節操に、大いなる感化を受けた石井亮一は、聖アンデレ教会に通い、A、C、ショー司祭から1887(明治20)年4月10日、洗礼を受け、キリスト者になりました。亮一の洗礼名(クリスチャンネーム)は、「ヨシュア」(「神は救い」)です。その年の12月18日、聖アンデレ教会でビカステス主教から堅信式(信按手式)を受けました。(既提出記事参照)
ウイリアムス主教は、日本聖公会の組織成立に貢献した初代主教ですが、宣教活動のために利用する列車では3等席にしか座らず、常に一般日本人と同じであろうとしました。日常生活では、粗衣粗食、質素倹約につとめ、その分の金は全て伝道活動や慈善活動に費やしました。謙遜で、自己犠牲の精神にあふれ、自らの善行をひたすら隠す姿(陰徳)はキリスト教界を越えて「中世的聖人」と崇敬されていました。京都市と米国ヴァージニア州に建てられたウイリアムスの追慕碑には、「在任五十年道ヲ伝ヘテ己ヲ伝ヘズ」と記されています。

★ウイリアムス主教の感化を受けた学生八人衆
ウイリアムス主教の感化を受けた学生八人衆が、アメリカのカレッジの模倣を改めるよう学校当局に、日本の現状に適した学科過程にするよう学区制改革を迫り、受け入れられました。…卒業後学生八人衆は、日本の精神的方面の近代化で活躍しました。当学園の「石井亮一・筆子記念館」に立教卒業時頃と、壮年期(明治30年代後半頃と思われる)に八人が同じ並びで撮った写真が展示されておりますので、ご来園された際にご覧いただければ幸いです。
<写真の配列>
後列:松木(杉浦)貞次郎(立教大学長)、名出保太郎(大阪教区主教)、大須賀(石井)亮一(わが国の知的障害教育の祖)、早川喜四郎(平安女学院長)。
前列:小林彦五郎(立教女学校長)、皆川佐吉(晃雄)、岩佐琢蔵(立教大学教授)、杉浦悦太郎(義道)(東京教区真光教会司祭)。

女子教育に関心があった石井は、卒業後、明治23年、立教女学校(立教女学院の前身)の教頭になります。その石井の生涯を変えたのが、濃尾大震災です。

ご不明な点はこちらから


チャプレンからのメッセージ

2010/06/29

★「いと小さき者」と共に生きる亮一
石井亮一は、日本より進んだアメリカの知的障害児教育を学び、自分の生涯をかけて、「いと小さき者」(新共同訳では「最も小さき者」)たちを「支えてゆこう」「仕えてゆこう」と決心されたのです。亮一は、聖書によく出てくる「いと小さき者」という言葉を好まれ、ご自分に対しても、私は「いと小さき者である」という自覚のもとに、「いと小さき者のために」「いと小さき者と共に」、生涯を生き貫かれました。

「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた。…はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。…はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。」(マタイ25・35-45)

これは世の終わりに行われる最後の審判の場面を描いたものであり、主イエスの教えの要約であると考えられています。

★ 心から湧きいずる、小さな奉仕(愛の実践)を
主イエスは、ご自身を「最も小さき者」と自覚しておられるのです。神の裁きの規準は、私たちがどれだけ人を助けたかという点にあります。主イエスの再臨までの時を、私たちの日常生活において、どんな小さなことでも、人に対して、目立たない助け、報酬をあてにしない、心から湧きでる、小さな奉仕(愛の実践)に励みなさいということです(参照:エフェソ6・7、コロサイ3・23)。
この具体例は、アブラハムが知らずにもてなした3人の旅人が、主と主の使いであったということに、よく似ています(創世記18・1-15)。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」「隣人を自分のように愛しなさい」という掟の実践の勧めです。

「この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである」と、主イエスから言われないようにしましょう。人を助けることは、主イエスを助けることになるのです。
最終的な神の問いかけは、あなたが小さな奉仕をどれだけ実行したかでしょう。

★ 現代社会での基本的人権は、どうなっていますか?
「最も小さい者」という言い方は、偉大であるか取るに足りない存在であるかを比べているのではないでしょう。主イエス・キリストは、ここで5つの基本的人権「食」「住」「衣」「健康」「自由」をあげ、そのどれかが奪われ、あるいは抑圧されている人を指して、「最も小さい者」と呼んでおられるようです。
亮一は、この基本的人権を尊重して、滝乃川学園を運営してこられました。現在は、如何でしょうか。

★ 基本的人権が損なわれている姿の主イエスに
これまでの歴史の流れの中で、主イエスを知らないままに、世を去った無償の愛の実践者と、現代社会で基本的人権が損なわれている「最も小さい者」の姿を取ってその人のうちに宿る主イエスを知らないで、愛の奉仕をしている人びとを、主イエスは、ご自分にしてくれたのだと、認めてくださるのです。

これに対して、主イエスが、私たちのところへ、見知らない人、渇く人、飢える人、貧しい人、差別されている人、生まれながらに不幸を負った人、障害者、避難民、人種の違った人、という姿をとって、通り過ぎておられるのに、私たちは、気づかないことがあったのではないでしょうか。

いつの日か、主イエスは、私たちに向かって、「あれは、私だったのだよ!」と。そして、「あなたは私を知っているような顔をしているが、私はあなたのことを全然知らない」(参照:マタイ7・23)と言われるかもしれません。

ご不明な点はこちらから


チャプレンからのメッセージ

2010/04/07

擂鉢山(すりばちやま)で祈るヨシュア石井亮一

★「滝乃川学園」は、

JR中央線の新宿から立川駅乗換え、南武線の矢川駅で下車して徒歩8分、甲州街道を南へ少し入ったところにあります。国立市谷保6312です。約2万3601平方メートル(約7、000坪)の広大な理想的な自然環境の地にあります。
広い敷地内には、木々の芽が萌え、野鳥がさえずり、清水が湧きいで、空気も澄み、夏には矢川のせせらぎが涼を誘い、蛍の光に夢を追い、遠くに富士の高嶺を頂く武蔵野のたたずまいを残しています。

滝乃川学園は、日本聖公会の信徒にして教育者・石井亮一によって、1891(明治24)年に、日本で最初につくられた知的障害をもつ人の社会福祉施設です。

★創立者石井亮一

石井亮一は、明治維新の前年1867(慶応3)年、九州の佐賀で生まれました。成長して立教大学校(立教大学の前身)に学び、米国聖公会の宣教師ウイリアムス主教と出会い、大きな感化を受け、人生の方向を決定づけることになりました。

   亮一は、聖アンデレ教会に通い、1887(明治20)年4月10日、洗礼を受けます。施洗者は同教会の設立者A、C、ショー司祭でしょう。同司祭は、軽井沢に別荘地を開いた宣教師です。亮一の洗礼名(クリスチャンネーム)は、「ヨシュア」です。その名前は、「神は救い」という意味です。その年の12月18日聖アンデレ教会でビカステス主教から堅信式(信按手式)を受けました。

大学卒業(1890・明治23年) 後、亮一は、若くして立教女学校(立教女学院の前身)の教頭に就任します。その翌年の秋10月28日、岐阜・愛知両県を中心とする濃尾大地震が起きました。

★上野の擂鉢山(すりばちやま)で祈る石井亮一

濃尾大震災の惨状に心を痛め、同志・巖本善治(明治女学校校長)と共に、同年12月1日上野の擂鉢山で祈り、救済活動を決意しました。

12月30日の夜に名古屋で石井十次と会談し、翌日に岐阜の現地へ赴き、悲惨な状況の中で身寄りを失った多数の子ども、ことに人身売買の犠牲になる危険性のある女の子たち十数名を引き取り、東京へ連れ帰り、日本最初の女医・荻野吟子の医院を借りて「聖三一孤女学院」を設立します。25歳でした。

翌年(1892・明治25年)、現在の北区滝野川に私財を投じ、渡米留学費用もはたいて新築します。そして立教女学校教頭の職も辞して、孤児たちの教育に専念します。

ところが、この学院児の中に二人の知的障害をもつ児童がいたのです。そのような子らにも、同じ人間として、安定した、楽しい、意義のある人生を送らせたいという石井亮一の願いがありました。

当時の日本には、まだそういう施設も研究もありません。心を痛めた亮一は、2度もアメリカヘ渡って知的障害児教育の理論と方法をセガン夫人から学び、1897(明治30)年、アメリカから帰国した亮一は、聖三一孤女学院を、地名に因んで「滝乃川学園」と改称します。

創立当時は、社会福祉に対する理解も公的支援も全く無い時代であるにもかかわらず、石井亮一は、「いと小さき者」に仕えてこられました。
これが日本で最初の知的障害児施設・滝乃川学園の本格的なスタートでした。

★ 聖三一礼拝堂での礼拝のご案内

毎週日曜日午前10時からです。学園利用者が、聖書朗読係ほかを務めています。
なお第三日曜日午前11時からチャプレン司式の聖餐式(ミサ)説教があります。
✩学園外のどなたでもご自由に参加いただけます。✩人間関係での心の悩み、痛みなどをお持ちの方の相談をお受けします。お問い合わせください。

ご不明な点はこちらから


チャプレンからのメッセージ

2010/02/01

チャプレンとは

チャプレンとは、教会以外の学校や病院や社会福祉施設と礼拝堂(チャペル)で働く牧師のことです。
★ 滝乃川学園チャプレンである私の務めは、神と人びとに仕え、聖書の教えに基づいて、必要とする方々の心に寄り添って関わります。学園利用者やその背後におられる保護者や学園を訪問される方々、そして献身的に働く職員の霊的、精神的サポートをすることにあります。利用者、職員、関係者が、お互いの人権(人間)を尊重し、共に生きる喜び、平安(安定)と感謝に満たされた生活ができるように祈っています。

日本聖公会信徒で立教女学校教頭・ヨシュア石井亮一は、1891年10月28日に起こった濃尾大震災の惨状に心を痛め、同志・巖本善治(明治女学校校長)と共に、同年12月1日、上野の擂鉢山で祈りました。神のみ心を聴くことにより、教頭職を辞めて、濃尾大震災孤女を救済すべきか、の決断をする時でした。亮一は、「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」(ロマ10・17)を実行し、主イエスの福音宣教の心を、心としました。
「飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」(マタイ9・36節)。イエスの行動の動機はいつも「憐れむ」ことであり、彼の生涯の原点なのです。「憐れむ」と訳された言葉は、もともと「はらわた」を意味するギリシア語の名詞スプランクノンから派生した動詞です。
石井亮一は、濃尾大震災により、人間の痛ましい姿、家を失い両親を失って路頭に迷っている子供たち、ことに女の子が人身売買される悲惨な状況を憐れみ、「あわれみのはらわたがうちふるえる」「はらわたがえぐられるような思い」「断腸の思い」になり、教頭職を辞めて、被災した女子を救済する決断をしました。
この決定的な英断こそが、滝乃川学園の創立への基礎となりました。まさに彼の洗礼名「ヨシュア」の意味の通り、「神は救い」を実行したのです。

★ペテロ吉村庄司の自己紹介:奈良県大和郡山で1932年8月11日生れ。郡山聖ヨハネ教会の中尾鐡三長老から幼児洗礼(1937年)、京都教区佐々木二郎主教から堅信式(1949年)。同志社大学神学部卒業(1955年)、聖公会神学院卒業(1958年)、佐々木二郎主教から上野聖公会伝道師、同年、執事按手、司祭按手(1959年)。桑名エピファニー教会、アンカレッジ聖マリア教会管理牧師、四日市聖アンデレ教会で牧会。
東京教区へ聖職籍移籍(1969年)。立教大学キリスト教教育研究所専任所員(1969年〜1977年)。クリエイティヴトレーニングセンター設立(1977年〜現在)。1969年以降に、八王子復活教会嘱託、立川聖パトッリック教会管理牧師、小金井聖公会管理牧師、東京諸聖徒教会牧師定年退職(2003年)。滝乃川学園評議員(1997年〜現在)、同学園理事長(1998年〜2006年)、福祉文化担当理事(2006年〜現在)、チャプレン(1995年〜2003年)嘱託チャプレン(2003年〜現在)。

★ 聖三一礼拝堂での礼拝のご案内
毎日曜日午前10時より
どなたでもご自由に参加いただけます。
お問い合わせください。

ご不明な点はこちらから


▲ページのトップに戻る