社会福祉法人滝乃川学園の石井亮一・筆子記念館(国登録有形文化財指定)、館長のコラムとお知らせ

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館長コラム第7回

2018/04/15

4月に入り、記念館前の桜が散り、八重桜が満開となっております。これからは木々の若葉の季節へと移って参ります。
 私が記念館館長を拝命した頃から考えますと、滝乃川学園、石井亮一、筆子の知名度は徐々に上がって参りました。昨年度の記念館関係の見学者は1400人を超えました。ここ何年間は常に年間1000人を上回る状態です。障害児者福祉にあまり興味がない方でも、記念館や「天使のピアノ」を見学する事で障害児者を理解していただく一歩になればと思っております。当学園は日本で最初の障害児者施設ということや、記念館、「天使のピアノ」等の他の施設にはない強みがあります。その強みをいかして、多くの方々に学園に来ていただきたいと思います。
 一昨年の「津久井やまゆり園」事件を始め、福祉施設がマスコミに登場するのは、ネガティブな話題ばかりです。もっと明るい話題を提供できたらと思います。
 その様な中昨年度は、様々な媒体で学園を紹介していただきました。まず、新聞関係では、産経新聞7月13日「朝けの空に―貞明皇后の66年―」、朝日新聞12月23日(天皇誕生日)「天皇陛下84歳の誕生日―慈しみ共に歩んだ―」、直近では、先週の4月7日日本経済新聞に「平成天皇と皇后―障害者と心を共に―」で紹介していただきました。
 その他では、FM東京ラジオ6月11日「美智子様がつむいだ音楽のとき〜天使のピアノと音楽をめぐる証言集〜」、テレビ長崎1月2日「ハンサムガール―石井筆子―」(正月特別番組)が放送されました。また、昨年は亮一生誕150年、没後80年の年でもありました。亮一の出身地である佐賀県の教育委員会が高校生用の副読本「誰かに語りたくなる―佐賀語り―」で佐賀の偉人として紹介され、3月3日に佐賀県で開催された「佐賀県幕末・維新博」では、大隈重信らと並び、亮一・筆子のモニュメントが制作され、県庁前の大通りに設置されました。(博覧会終了後は、亮一の生誕地に移設されるとのことです)、これらに関する資料、写真等は記念館が提供いたしました。
 このように記念館には、学園の歴史や亮一、筆子についての様々なご要望が寄せられます。まだまだ私には重い課題も多いのですが、ご期待に応えられるよう研鑚を積んでいきたいものだと思います。

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館長コラム第6回

2012/10/17

アメリカ研修旅行報告その1

館長コラム第6回

1 初めに

 滝乃川学園は昨年12月1日に、創立120年を迎え、120年史も発行されました。それを機に、創立者である石井亮一と筆子が訪問し、知的障害児の教育、療育を学んだアメリカ、ペンシルバニア州フィラデルフィアにあるElwyn(以下アーウィン)、及びアメリカ議会図書館を訪問することとなり、9月24日から10月1日の日程で研修旅行をしてまいりました。
 120年史の編集代表であり、記念館顧問の津曲祐次先生(長崎純心大学大学院教授)は10年以上にわたり定期的にアーウィンを訪問し、研究をしてこられました。先生には全体のコーディネートをしていただき、私は事務局として各種調整にあたりました。 
 訪米のメンバーですが、学園からは、私を含め法人から山田理事長、横倉前理事長、研修委員会と連携し職員2名が参加。他に、津曲先生の呼びかけで長崎の(社福)ほかにわ共和国から2名、研究者(長崎純心大学、中京大学)2名の合計10名です。(アーウィンでは現地にて2名の研究者、フィラデルフィア日米協会の方が1名合流)
* Elwyn: 知的障害児学校として1852年に創立され、現在では知的障害教育、福祉だけでなく、重症心身障害、身体障害、老人、幼児その他多数の教育、福祉事業を行っている。
* アメリカ議会図書館(Library of Congress): 1800年設立のアメリカの国立図書館で、蔵書数、職員数等全てが世界最大。

 
日程
9月24日:成田空港発、ダラス空港経由フィラデルフィア空港着
      先発していた山田理事長と合流
  25日:アーウィン訪問
   午前:レセプション 滝乃川学園120年史贈呈
      講演
      「滝乃川学園と日本の知的障害教育、福祉の歴史」(津曲祐次)
      「アーウィンの歴史」(Dr.Elliott Simon)
   午後:キャンパス見学(全員)
      資料室、キャンパス内各事業所等
  26日:アーウィン訪問
   午前:講演
「滝乃川学園の現在の事業」(山田理事長)
      「アーウィンの現在の事業」(Dr.Elliott Simon)
      「新しい遺伝学と知的障害」(Brenda Finucane)
   午後:「コンピュータ管理の健康記録」(Rick Smith)
Aグループ・キャンパス等見学
Bグループ・資料室にて資料研究
  27日:アーウィン訪問
   午前:幼児関係事業見学
      Aグループ・地域の事業所見学
      Bグループ・資料室にて資料研究  

  28日:ワシントンDC
   午前:アムトラックにてワシントンDCへ移動
   午後:アメリカ連邦図書館へ「滝乃川学園120年史」贈呈 
      ホワイトハウス、リンカーン記念館、アーリントン国立墓地等

  29日:アムトラックにてニューヨークへ移動
   午後:セントラルパーク、グラウンド・ゼロ、聖パトリック礼拝堂等

  30日:ジョン・F・ケネディー空港発
10月1日:成田空港着

2 アーウィン訪問
 滝乃川学園は創立120年、アーウィンは160年であり、共に日米の最古の施設です。訪問の主な目的は、亮一・筆子との関係からもこれを機に連携して学びあうことを提案すること、現在のアメリカの知的障害教育、福祉の現場の実践を学ぶこと、そして「滝乃川学園120年史」を贈呈することです。アーウィンは明治17年(1884)年に内村鑑三が日本人として初めて勤めたところであり、彼が知的障害児教育の必要性を日本で訴えた基となる経験をしたところです。また、学園の創立者石井亮一は知的障害児教育を学ぶために明治29(1896)年に訪問しました。その2年後の明治31(1898)年には、亮一と共に結婚前の筆子も訪れています。亮一と筆子はこの旅で将来のことを決定したと言われています。実はあまり知られていませんが、大正10年4月にアーウィンの院長であるDr,Barrが来日し、東京帝国大学等で講演しました。その時Dr.Barrは内村鑑三と共に4月20日に学園を訪れています。このことは当時の雑誌や、筆子の日記に記載されています。
 アーウィンでの我々の活動は、大きく3つありました。一つは講演です。出発前にアーウィンと打ち合わせを行い、互いに同じテーマで講演を行うこととしました。津曲先生と山田理事長は英語版パワーポイントを作成し各々「滝乃川学園と日本の知的障害教育と福祉」「滝乃川学園の現在の事業」を、アーウィンからは津曲先生の長年の友人Dr.Simonが「アーウィンの歴史」「アーウィンの現在の事業」を講演してくださり、さらにBrenda Finucane氏が「新しい遺伝学と知的障害(New Genetics and Intellectual Disabilitey)」、Rick Smith氏が「コンピュータ管理の健康記録(Electronic Health Records)」を講演してくださいました。講演は我々だけでなくアーウィンのスタッフも参加し、共に学ぶ場でした。
 二つ目は、見学です。アーウィンはメインキャンパスだけでなく地域においても様々な事業を展開しております。メインキャンパス、地域も含め見学し、レクチャーを受けました。(Aグループ)
 三つ目は、資料室でアーウィンに保管されている資料の研究です。(Bグループ)亮一、筆子をはじめアーウィンを訪れた、田中不二麿、内村鑑三、脇田良吉(白川学園創立者)等の日本関連の資料を探した結果、新たな発見、研究材料となる資料を見つけることが出来ました。

次回へ続く・・・ご期待ください。様々な発見がありました。
*Elwynのホームページのトップに我々の訪問の記事が掲載されております。得我々がフィラデルフィアを発った9月28日に早々掲載していただきました。

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館長コラム第5回

2012/04/12

記念館の桜も4月に入りやっと満開になり、今は少しずつ散り始めました。記念館の窓から見ますと風に乗って花びらがきれいに舞っております。

□「滝乃川学園120年史−知的障害者教育・福祉の歩み−」が昨年12月1日の創立120年の記念日に発刊されました。(上下巻1787頁という当初想像もしていなかったボリュームとなりました)私は最後の段階で編集のお手伝いをいたしましたが、完成した後新たな課題が多々あることを実感いたしました。発行後、エリザベス・サンダースホームを訪問し、当学園との繋がりを確認いたしました。また、つながりが濃い立教女学院資料室へ定期的に訪問して新たな資料探しをしております。
そのような活動の中で新たに明らかになったこともございます。そのような120年史に著すことの出来なかった事柄や、現在の福祉の状況、職員の研究報告等を残していくために毎年『紀要』を発行し、121年目からの新たな一歩を踏み出すことといたします。
また、定例となりました夏期公開講座を、「石井亮一・筆子を読む会」の皆様と共同開催いたします。詳細が決定いたしましたら本ページにてお知らせいたします。

□東日本大震災から1年が過ぎました。東京の知的障害者福祉関係者はすぐに「東京合同災害対策本部」を立ち上げ、被災三県(岩手、福島、宮城)の関係団体と連絡を取り合い、東京は宮城県を支援することとなりました。
被災地(宮城県気仙沼市、南三陸町等)へ継続的にスタッフを派遣したこと、各施設や団体等から送られてくる支援物資を記念館に集積し現地に送り出したこと、被災地での活動資金を集めるために様々働きかけたこと、5月初旬に被災地に行き、まだまだ震災直後そのままの被災地を見て、現地の人とお話をして・・・ずいぶん昔のような気がします。少しでも被災された方々のお役に立てたのなら幸いです。
昨年長期にわたり現地でコーディネーターをした高瀬成人部施設長は、今年度に入っても復興のお手伝い、また、新たな福祉事業の立ち上げのため定期的に宮城県に行っており、今後も被災地とのつながりを絶たず、継続して支援していくこととなります。高瀬施設長の現地からの報告等皆様にお伝えできればと思います。

最後になりますが、立教女学院小学校、東京聖三一教会、個人の聖公会信徒の方から学園を通じて対策本部に多大なご寄付をいただきました。感謝申し上げます。

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館長コラム 第4回

2011/12/20

☆ハッピー・ニューイヤー
今年も、メリー・クリスマス&ハッピー・ニューイヤーの季節となりました。12月8日のジョン・レノンの命日(命日は日本っぽいですが)には、例年「Happy X’mas(War is Over)」が街角に流れます。歌のコーラスの部分では♪War is Over If You Want it〜♪と歌われます。この歌詞をちょっと心にとめていただけるとよろしいかと思います。この季節になるとコーラスの部分が頭の中で流れます。

☆創立120周年と120年史
 当学園は12月1日に創立120周年を迎え、それに伴い「120年史」(知的障害者教育・福祉の歩み)を発刊いたしました。本来なら100周年の時に発行予定でしたが紆余曲折の末「120年史」として発刊することができました。
上下2巻約1800頁というボリュームですが読みどころ満載だと思っております。
 120年史と言いながら、第1章第1節は1854年(嘉永7年)の日米和親条約、1859年(安政6年)のウィリアムズ主教(立教大学創始者で亮一をキリスト者へ導き、筆子に洗礼を与えた)の来日から始まっていますので150年を超えた歴史が綴られています。私は最後の段階で編集責任者である津曲裕次先生のお手伝いをさせていただきました。
 この120周年史は、単に当学園の歴史だけでなく各時代々の状況、まだ福祉という言葉がなかった時代、生きるのが困難な人達の歴史も綴られております。第1部「通史編」は各年代の社会情勢、その中で学園はどのように生きてきたかが述べられております。第2部「研究・資料編」は学術研究としての価値を持たせております。
 私は、最後の段階で編集責任者である津曲裕次先生のお手伝いをさせていただきました。このような大変な仕事の一端を担えたことはとても意義深く、貴重な体験をさせていただきました。あとがきにも述べさせていただきましたが、先人たちの研修、様々な資料に導かれたと思っております。
 皆様方にもぜひ一読していただきたい一書だと思います。お手にとっていただければ幸いです。

☆これからの研究
 120年史で見えてきたことが様々ございます。まだまだ研究しなければならないことが多々あることも認識いたしました。今後の記念館の活動の中で解明しく必要があります。120年史が到達点ではなく、これからの歴史の始まりであり、120年続いてきた学園の歴史に立脚したこれからの歴史の一歩にしたいと考えております。今後ともご支援のほどよろしくお願い申し上げます。

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館長のコラム第3回

2011/01/31

館長のコラム第3回

年賀状に使いました明治30年代の滝乃川学園の写真

★一月遅れのメリー・クリスマス&ハッピー・ニューイヤー
昨年の決意が次の月に崩れてしまい、このコラムの更新が結局年を越してしまいました。標題が現在の心の痛さを表しております。
昨年のクリスマスの時に話題にしたかったのは、ジョン・レノンの曲「Happy・Christmas( War Is Over)」です。昨年は、ジョンの没後30年、生誕70年の年でした。この曲は1971年に発表されたので、題にあるWar(戦争)はベトナム戦争と言われています。でも、ベトナム戦争の終結まではさらに4年かかっています。ジョンとしては、終わってもらいたいという気持ちを歌ったのでしょう。ジョンの歌っているバックで、いろいろな人たちが「War Is Over If You Want It」と歌っています。みんなが望めば、戦争は終わるのでしょうが、未だに紛争という名で続いているところや、日本の周りでも不穏な感じが続いています。ジョンのバックで「War Is Over If You Want It」とジョンが亡くなって30年たった今も歌わなくてはならない世界が続いています。   
あと何年経ったらこの曲が「そんな、時代もあったんだな〜」と本当の昔話になる日が来るのでしょうか。
ちなみに、ジョンが亡くなった12月8日は、日本がハワイの真珠湾を攻撃した日でもあります(昭和16年のことです。ビートルズ世代の人たちには、いまさら・・・って言われるでしょうが)

ジョンのハッピー・クリスマスのみんなが良く知っているサビの歌詞は「ベリー・メリー・クリスマス&ハッピー・ニューイヤー♪」です。
ハッピー・ニューイヤーもすでに2月が目の前となってしまいました。予想に反してなんだか寒い冬になりました。私の寒さの基準は、学園の湧水の池に湯気が上がっていないがレベル1、湧水の池に湯気が上がっているがレベル2、学園の中を流れている矢川に湯気が上がっているのがレベル3です。レベル3の寒さの中でも矢川の流れの中に青鷺がたたずんでいたりします。仕事の合間にそんな風景で気分をリフレッシュしております。

★当学園が創立されてから120年
 1891(明治24)に当学園は創立され、今年で120周年を迎えます。私は今年で勤続30年なので学園の歴史の4分の1に関わっている事になります。現在、当学園の120周年史の発刊を目指して作業を続けています。当記念館の顧問をお願いしております津曲長崎純心大学教授から新たな原稿や、差し替え原稿がメールで送られてきてチェックをさせていただいているのですが、明治、大正、昭和戦前、戦後・・・その時代々の方々が様々な問題に直面しては乗り越えております。次に200年史が発刊される時に我々の時代はどのような評価をされるのでしょう。戦後の長い措置時代が終わり、支援費制度、障害者自立支援法、その次に来るであろう障害者総合福祉法が我々の時代の象徴となるのかもしれません。その間の学園の経営、運営に対して責任を果たしたと言われるような我々ではありたいと願ってはいますが、世界はとても複雑で、速い速度で回っています。遠心力に振り回されてはじき飛ばされるのか、軸をしっかり押さえていられるのか。さあ、これからが見所であることは確かかなと思っております。
 今年の、学園の年賀状には、明治30年代の滝野川村(現北区)時代の写真を使わせていただきました。当時の礼拝堂の前に子ども達が集合しています。ぱっと見るとおひな様のような着物を着ている女の子達の集合写真のように見えますが、様々な困難が彼女達の背後にあります。創立者石井亮一がどのようなまなざしで彼女たちを見ていたのでしょうか。当時の状況を120年史の原稿から読み取る事ができるようになりたいと思っています。
石井亮一・筆子記念館 館長 米川 覚

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「石井亮一・筆子記念館」コラム 第2回

2010/06/29

チャプレンからのメッセージ(3)

★「いと小さき者」と共に生きる亮一
石井亮一は、日本より進んだアメリカの知的障害児教育を学び、自分の生涯をかけて、「いと小さき者」(新共同訳では「最も小さき者」)たちを「支えてゆこう」「仕えてゆこう」と決心されたのです。亮一は、聖書によく出てくる「いと小さき者」という言葉を好まれ、ご自分に対しても、私は「いと小さき者である」という自覚のもとに、「いと小さき者のために」「いと小さき者と共に」、生涯を生き貫かれました。

「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた。…はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。…はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。」(マタイ25・35-45)

これは世の終わりに行われる最後の審判の場面を描いたものであり、主イエスの教えの要約であると考えられています。

★ 心から湧きいずる、小さな奉仕(愛の実践)を
主イエスは、ご自身を「最も小さき者」と自覚しておられるのです。神の裁きの規準は、私たちがどれだけ人を助けたかという点にあります。主イエスの再臨までの時を、私たちの日常生活において、どんな小さなことでも、人に対して、目立たない助け、報酬をあてにしない、心から湧きでる、小さな奉仕(愛の実践)に励みなさいということです(参照:エフェソ6・7、コロサイ3・23)。
この具体例は、アブラハムが知らずにもてなした3人の旅人が、主と主の使いであったということに、よく似ています(創世記18・1-15)。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」「隣人を自分のように愛しなさい」という掟の実践の勧めです。

「この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである」と、主イエスから言われないようにしましょう。人を助けることは、主イエスを助けることになるのです。
最終的な神の問いかけは、あなたが小さな奉仕をどれだけ実行したかでしょう。

★ 現代社会での基本的人権は、どうなっていますか?
「最も小さい者」という言い方は、偉大であるか取るに足りない存在であるかを比べているのではないでしょう。主イエス・キリストは、ここで5つの基本的人権「食」「住」「衣」「健康」「自由」をあげ、そのどれかが奪われ、あるいは抑圧されている人を指して、「最も小さい者」と呼んでおられるようです。
亮一は、この基本的人権を尊重して、滝乃川学園を運営してこられました。現在は、如何でしょうか。

★ 基本的人権が損なわれている姿の主イエスに
これまでの歴史の流れの中で、主イエスを知らないままに、世を去った無償の愛の実践者と、現代社会で基本的人権が損なわれている「最も小さい者」の姿を取ってその人のうちに宿る主イエスを知らないで、愛の奉仕をしている人びとを、主イエスは、ご自分にしてくれたのだと、認めてくださるのです。

これに対して、主イエスが、私たちのところへ、見知らない人、渇く人、飢える人、貧しい人、差別されている人、生まれながらに不幸を負った人、障害者、避難民、人種の違った人、という姿をとって、通り過ぎておられるのに、私たちは、気づかないことがあったのではないでしょうか。

いつの日か、主イエスは、私たちに向かって、「あれは、私だったのだよ!」と。そして、「あなたは私を知っているような顔をしているが、私はあなたのことを全然知らない」(参照:マタイ7・23)と言われるかもしれません。

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「石井亮一・筆子記念館」館長コラム

2010/04/13

館長コラムへようこそ

館長コラムへようこそ。この4月から館長の命を受けました米川覚(よねかわ・さとる)です。記念館は当学園の新たな事業として活動を開始いたしました。これからこのコラムを通して様々な発信をしてまいります。
 記念館館長というと、皆さんは今までの滝乃川学園の歴史の紹介や、文化財等の保護などが主な仕事というイメージが強いと思います。確かにそれも大切なことで今まで以上に継承していきますが、当学園の記念館事業の大事な位置付けとしては、福祉文化の構築、発信にあります。具体的には、今までの福祉文化の上に構築されてきた現在の福祉の検証、将来に向けた福祉の提言です。(本当はそんなに難しく考えてはいないのですが、ちょっと無理して書いてみました)
 先日、同業の社会福祉法人から広報誌が届きました。1面に他の施設の施設長の文章が掲載されていて、その文面に「石井亮一をはじめとした先人達の実践は何もないところから知的障害者福祉をここまで築き上げた尊いものです・・・」とありました。その後に「本人の立場から、時代に合わせて問い直す時が来たのだと思います」と続けられ、現在の福祉を支える我々にとっての命題が端的に述べられていました。
 現在、民主党連立政権の目指す「障害者総合福祉法」への移行のための検討が始まっています。理念は良いが、拙速に行われ、制度として不備が多く理念がいつの間にか見失われ、障害当事者、支える方々、我々事業者も翻弄され続けた「障害者自立支援法」とは違う策定プロセスが求められます。国は障害当事者を委員に迎え「障がい者制度改革推進会議」を設置し検討しています。この会議が厚生労働省ではなく、内閣府の共生社会政策統括官の下に置かれていると言うことは、障害者に特化した議論ではなく社会全体に係わる政策を目指すと言うことだと思います。今まで医療モデルだけで語られてきたものが社会モデルで語られ始めたのだと私は理解しています。会議録が出るたびに読ませていただいておりますが、今までの政権が目をつぶってきた問題が多々あり、本質的な問題が提示されており、拙速な議論でお茶を濁すことなくじっくりと討議していただきたいと節に願います。まず、障害者差別禁止法の制定、国連障害者権利条約の批准の道筋をはっきり示し、そのために必要な施策はどうあるべきか・・・。
 遅々として進まないな〜と思わずに、(今まで目をつぶってきてしまったところから議論しているのだから当初は仕方のないことだと思います)しっかり議論されているのか注視し、共に検討されている事項を考えていくことが必要だと思います。

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「石井亮一・筆子記念館」コラム 第1回

2010/03/01

1928(昭和3)年に建設された本館の保存修復工事が2009(平成21)年春に完了し、新たに「石井亮一・筆子記念館」として事業を開始いたしました。本年度は、内部、外部の研修、講演会の会場としてまた、東京都教育委員会の「文化財ウィーク」に初参加し、記念館の一般公開やウィークに合わせての天使のピアノコンサート開催等を行ってまいりました。学園内の組織としての位置付けはこれからですが、2010年4月に館長および担当者を選任し、新たな事業計画に則って活動の幅を広げていく予定です。
 具体的には、亮一・筆子をはじめとする当学園史関係の所蔵文献、文化財等の保存修復、公開に係わること、福祉文化や今後の福祉に関する研究発信、各種研修会、講演会等の企画運営を行います。また、諸団体、研究者、市民等と連携した事業(共催事業、協賛事業、提携事業)にも取り組んでまいります。
 記念館事業は、歴史的な建物(文化財)の価値だけを維持するのではなく、将来を見据えた有効活用を目指して行きたいと考えています。このコラムも、現在進行形の福祉、将来の福祉に関して、皆様に興味を持っていただけるよう充実させてまいります。
最後に、清掃活動、記念館での催し物のお手伝いをしてくださっているボランティアの方々、定期的に学習活動等で記念館を使用くださっているグループの方々にも改めて感謝申し上げます。今後ともよろしくお願いいたします。

まだ、館長はじめ担当者が選任されておりませんが、それまでの間コラムを担当させていただきます。
常務理事 米川 覚

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